Cocktale~創作と評論の広場

Cocktale:Cocktail(混合酒=カクテル)と、Tale(話)をかけた表題。小説、随筆、文学評論などを掲載。

◇「駅長 」~ロシア文学への招待状    築山散作

      はじめに

 

“名作とは、その話のなかに、歴史の流れが感じ取られる作品の事である。”

 と、云うのが、持論です。

 だからと云って、歴史上の人物や出来事を盛り込んだ話が名作である、と、云う意味ではありません。

当然、歴史小説が最高の小説である、と、云う意味でもありません。

歴史上の人物や出来事を盛り込んではいても、つまらない小説はいくらでもあります。

読む価値のない歴史小説も、山ほどあります。

では、“その話のなかに、歴史の流れが感じ取られる作品”とは、どのような作品なのでしょうか?

 

「駅長」と云う作品が、その答えのひとつです。

ロシアの国民作家、と、云われる、アレクサンドル・プーシキンの作品です。

ロシア文学”と、云いますと、思わず身構えられるかたが多いのではないでしょうか。

“暗くて、重苦しくて、やたらに長い”――それが、おおかたの人がもつ、ロシア文学にたいする印象ではないでしょうか。

 なるほど、あながち、間違っている、とは、申しません。しかし、どうぞご心配なく。

 ここにご紹介する「駅長」と云う作品は、「ベールキン物語」と云う、それ自体短い作品群の中の一編です。

文庫本(岩波文庫)にしてわずか22頁――1時間ちょっと、通勤の合間に読めるくらいの分量です。

主な登場人物は三人――駅長のシメオン、その娘ドゥーニャ、ペテルブルグの若き驃騎兵士官ミンスキイ、です。

この、たった三人の登場人物のそれぞれが、悠久なロシアの歴史の流れを、その一瞬を、みごとに体現し、この短い物語のなかに滔々として流れる、雄大な歴史の流れを感じさせてくれるのです。

それではこれから、この短い作品の中に表現されている、雄大な歴史の流れを感じ取って行きましょう。どうか、ご一緒に。

 

本 論~「駅長」精

 

さて、タイトルの「駅長」ですが、当時のロシアにあって“駅長”とは、どのような存在だったのでしょうか?

それは、「十四等官の官等をもつ紛れもない受難者で、この官位のおかげでわずかに殴打を免れているに過ぎず、それとて常に免れるものとは限っていない」のです。

 帝政ロシアにあっては、官吏――現在で云う公務員――には、それぞれ等級が定められていました。十四等官は、それらの官等中、最も低いものです。

その職務は、「それこそほんとうの苦役」です。

「昼も夜も心の休まるひまとてはない。退屈な旅のあいだに積もり積もった鬱憤をのこらず、旅行者は駅長にぶちまけるのである。天気が我慢ならん、道がわるい、御者が強情だ、馬が進まん――みんな駅長のせい」です。

旅行者は駅長を目の敵にします。

その旅行者がすぐに発ってくれればもっけの幸いですが、あいにく馬がなかったら……。なんという罵詈雑言が、なんという嚇かし文句が、彼の頭上に降り注ぐことでしょうか!

 雨が降ろうが、霙が降ろうが、駅長は、馬を求めて、一軒一軒、近在の百姓家を探して回らなければなりません。

暴風の日でも、厳寒の最中でも、駅長はその貧しい住家の玄関の板の間へ出ていきます。いきり立った宿泊人の怒号や腕力沙汰からのがれて、せめて一分間でも身を休めるために、です。

 

この物語の主人公、シメオン・ヴイリンも、そんな駅長のひとりです。

その粗末ながらも小ざっぱりした住家には、安っぽい絵草子が飾られています。

それは、放蕩息子の物語です。

一枚目には、寝室帽をかぶって寛やかな部屋着をきた有徳の老翁が、心の落ち着かない若者を旅立たせています。若者はそわそわして、老人から祝福と財布を受取っています。

二枚目に描かれているのは、その若者の放埓な行状です。彼は「偽りの友達や恥知らずの女たち」に取り巻かれて、食卓に向かっています。

三枚目では、零落した若者が襤褸をまとい、三角帽をかぶって、豚の番をしながら、自分も豚と同じ餌を食べています。

四枚目、最後の一枚には、彼が父親のもとへ帰ったところが描かれています。心善い老翁が、一枚目の絵と同じく、寝室帽と部屋着の姿で、息子を迎えに走り出ています。息子はひざまずいています。遠景では料理番が、肥ふとらせた犢を屠っています。

この一連の絵草子が、シメオンの生き方を象徴しています。

華美贅沢を望まず、つつましやかに、その日その日を黙々と生きていくことにこそ、真の幸福がある、とする、生き方です。

シメオンの駅舎を訪れる旅人たちと、駅長たるシメオンとの間には、越えることの出来ない、身分の懸隔があります。

シメオンの駅舎を訪れる旅人たちは、身分高い「奥様」と呼ばれる人たちや、「旦那がた」と呼ばれる人々です。最下級の官等である十四等官のシメオンにとってみれば、それこそ、雲の上の人たち、別世界に住む人たちです。

そんな旅人たちの振舞いや言動が如何に横暴で、如何に理不尽であったとしても、シメオンは抗いません。抗おうとする感情すら生じません。

それどころか、旅人たちの横暴で理不尽な振舞いや言動を、横暴である、とか、理不尽である、とか、そんなふうに思うことすら、ありません。

旅人たちは身分高く、身分高い人たちはそういったもの、自分がこのように扱われるのも当然のこと、そう云った諦めにも似た感情が、シメオンを支配しています。

それがシメオンにとっては、当然の感情であり、ふつうの考えです。

「ロシア人の……特徴の一つは、その大きな忍耐力、耐乏心、苦痛に抵抗する力である。ロシア人は耐えることを知っている。一生がきびしくあろうと、ときとして残酷であっても、おどろきもしないし、激昂もしない」

と、云った人がいますが、まさにシメオンの生き方にぴったりの言葉です。

 最下級の官吏である、十四等官としての生活、長年にわたる駅長としてのその生活が、シメオンにそのような生き方を染み込ませたのです。

 

ただ、シメオンが他の駅長たちと違っていたのは、彼にはかわいい娘、ドゥーニャがいたことです。

ドゥーニャは「利発なすばしこい」娘で、どんな旅人でも彼女を褒めない人はなく、だれひとり、彼女の悪口を云う人はいませんでした。

身分高い「奥様」と呼ばれる人たちは、ドゥーニャをかわいがって、彼女にハンカチや耳輪を与え、「旦那がた」と呼ばれる男連中は、少しでも彼女と一緒に居たいがために、食事をするようなふりをして、その出発をのばしました。

どんなに憤っている旅客でも、ドゥーニャが姿を現すとその怒りを鎮め、シメオンにも、優しい口をきくようになりました。

部屋の始末から料理まで、何もかも立派にこなして、実際、ドゥーニャがいてこそ、シメオンの家も持っていたようなものでした。

そんなドゥーニャを、シメオンは、いくら眺めてもながめ足りない、いくら賞でても賞できれないほどに、かわいがっていました。シメオンはあらんかぎりの愛情をもって、我が娘ドゥーニャを慈しんでいました。

しかしそのドゥーニャが、シメオンのもとを離れて行ってしまったのです。

 

 事の起こりは、ある冬の、暮れ方のことでした。

ひとりの若い驃騎兵士官が、シメオンの駅舎に乗りつけてきました。

その驃騎兵士官は馬を求めましたが、あいにく、馬は残らず出きっていました。

例によって、その若い驃騎兵士官も、怒声と革鞭を振り上げようとしましたが、そんな場面には慣れているドゥーニャが走り出てきて、その若い驃騎兵士官の怒りを静めました。

この若い驃騎兵士官――ミンスキイと云います――も、他の旅人同様、ドゥーニャの魅力に、すっかり、参ってしまいました。

ただ彼が他の旅人たちと違っていたのは、ドゥーニャと食事をしたり、会話を愉しんだり、自分の持物を与えたり、と、そう云ったことだけでは満足せず、彼女を連れ出そうとしたことです。

ミンスキイは病を装い、往診した医者を金と嚇しで懐柔しました。そして、床に臥せっている間、懸命に、ドゥーニャを口説いたのです。

ドゥーニャの決心がついたとみるや、ミンスキイはたちまち元気になりました。

「彼は非常な上機嫌で、駅長やドゥーニャを相手に冗談口をたた」き、「口笛で唄をうたうやら、旅人たちと話をするやら、彼らの駅馬券を駅逓簿へ写しとるやらで、すっかり人のいい駅長の気に」入りました。シメオンは、「この親切な泊まり客と別れるのを、辛く思ったほど」でした。

ミンスキイとともに旅立つことを決心したにもかかわらず、ドゥーニャにはためらいがありました。

ドゥーニャは、旅人の鞭と怒声に脅え震えながら毎日を過ごす年老いた父親を一人残して行くのです。その哀れな、年老いた父親を、騙すようにして旅立っていくのです。それまでの、貧しく、慎ましやかながらも、幸せだった日々と訣別するのです。もう二度とこの地に戻ってくることはないでしょう。もう二度と、父親に会うこともないでしょう。

さまざまな想いがドゥーニャの胸を去来します。

そんな思いを断ち切ったのが、皮肉にも、父シメオンの言葉でした。

「なんのこわいことがあるものかね?」……「このかたが狼じゃあるまいし、お前を取って食べようとはおっしゃるまいよ。教会まで乗せて行っておいただき。」

 それはまさに、歴史のひと言でした。歴史がシメオンを捉え、シメオンをして云わしめた言葉でした。

 

 ミンスキイは、ロシアの歴史の流れ――より精確に云えば、ロシアの商品経済の発展――が産み出した、新しい個性、新しい人物です。

 シメオンが歩んできた人生からすれば、ミンスキイのような人間は、とても信用できる人間ではありません。

 シメオンから見れば、ミンスキイのような人間は、退屈な旅のあいだに積もり積もった鬱憤をのこらずぶちまけ、その場その時の癇癪にまかせて怒声と革鞭を振り上げ、打擲するような人物です。

 旅先で見かけたちょっとかわいらしいおぼこ娘を言葉巧みに誘惑して、しばらく囲ったあげくにぽんと振り捨てるような、そんなことをしかねない、そんなことをしても不思議ではない、そんな人間です。

 ところが、そんな人物であるはずのミンスキイを、シメオンはすっかり気に入ってしまったのです。彼との別れを辛く思うようにすらなったのです。

 これまでのシメオンからすれば、考えられないことです。

 ドゥーニャをかわいがって彼女にハンカチや耳輪を与えた身分高い「奥様」がたも、少しでも彼女と一緒に居たいがために、食事をするようなふりをして、その出発をのばした「旦那がた」と呼ばれる男連中も、十四等官の駅長であるシメオンが、そのために彼らを気に入り、別れを辛く思うような、親しみを感じる人々ではありませんでした。彼らとシメオンとの間には、埋めることのできない、巨大な懸隔――身分の差が、厳然と存在しており、シメオンはそのことをつねに、感じ取っていました。

ところがミンスキイには、そのような巨大な懸隔――身分の差が、やはり、厳然として存在しているにも拘らず、そのことを忘れさせ、シメオンをして彼を気に入らせる個性があったのです。

 ミンスキイは、ドゥーニャの決心がついたとみるや、すっかり上機嫌になり、シメオンやドゥーニャ相手に冗談口を叩いたり、旅人たちと話したり、旅人たちの駅馬券を駅逓簿に写しとったりしました。旅人たちの駅馬券を駅逓簿に写しとる、と、云うのは、十四等官と云う最下等の官等である駅長の仕事でして、ミンスキイのような驃騎兵士官が手を染めるような仕事ではありません。にもかかわらず、ミンスキイは気軽にそれをやったのです。

 ミンスキイの振舞いは、ドゥーニャをかわいがって彼女にハンカチや耳輪を与えた身分高い「奥様」がたや、少しでも彼女と一緒に居たいがために、食事をするようなふりをして、その出発をのばした「旦那がた」と呼ばれる男連中には、見られないことでした。

その新しい個性、新しく生み出された人物に接したシメオンの心には、いままで生じたことのなかった、新しい感情が生じました。

それが、ミンスキイを気に入り、彼との別れを辛く思い、愛娘ドゥーニャに彼との相乗りを勧める言葉となって、現象したのです。

しかしシメオンには、そんな自分の心の動きを理解できようはずもありません。

 実際シメオンは、半時間もたたないうちに、心が妙に疼きはじめ、しきりに胸騒ぎがしてきました。

「哀れな駅長は、どうしてドゥーニャに士官との相乗りを許したのか、なぜそんなにも目が眩んだものか、そのときの自分の分別がどうなっていたのか、われながら訳がわからなかった。」と、作者は書いています。

 ミンスキイとの接触は、シメオンの心に、いままでになかった、新たな感情を生みだしました。そのミンスキイが旅立ってしまうと、シメオンの心は、以前の状態に戻ります。

 それゆえ、「半時間もたたないうちに、彼の心は妙に疼きはじめて、しきりに胸騒ぎがして来た」のであり、「どうしてドゥーニャに士官との相乗りを許したのか、なぜそんなにも目が眩んだものか、そのときの自分の分別がどうなっていたのか、われながら訳がわからなかった」のです。

 そしてとうとう、居ても立ってもいられなくなって、自分で教会へと出かけて行きました。

ところが、ドゥーニャの姿はどこにも見えません。

悄然として帰宅したシメオンは、それでもなお、ドゥーニャが自分のもとから去って行ったとは、思えませんでした。

ミンスキイとドゥーニャを乗せて行った馭者は、日暮れになってやっと帰って来ると、

「ドゥーニャさんは次の駅からまだ先へ、士官(ミンスキイ)といっしょに発って行きなすった」

と、報告しました。

それはシメオンにとって、恐ろしい報告でした。

“あの旅の若者に、かどわかされた。”

シメオンがそう思ったとしても、無理からぬことでしょう。

馭者から、「ドゥーニャは途々ずっと泣きどおしだったけれど、そのくせ自分から好き好んで乗って行くような様子だった」と、聞かされても、その言を素直に信じることができず、ドゥーニャはミンスキイに騙されたのだ、と、信じていました。

シメオンにすれば、都会でのきらびやかな生活は、軽佻浮薄なものでしかなく、彼の旅宿の壁に掲げてある安っぽい絵草子が示しているように、やがては零落して乞食同様になるのが、必然の運命です。「利発なすばしこい」娘であるドゥーニャも、当然そのことは理解しているはずであり、彼女がミンスキイと共に去ったのも、一時の気まぐれ、気の迷いにすぎず、だからこそ、ドゥーニャを「うちの迷える子羊」と思い、自分が行って説得すれば、かならず、連れもどせる、と、信じました。

シメオンはミンスキイの旅券で、その行く先がペテルブルグであることを知っていました。

シメオンはミンスキイの宿に赴いて、取次を頼みますが、旦那は十一時前にはだれにもお会いにならない、と、告げられます。

 そして、いったんそこを出て、指定された時刻に戻ってきます。

 ミンスキイは自分で会いに出てきますが、

「なんの用かね、君」

 と、その応対は、如何にも横柄です。

 シメオンは、

「旦那さま!……どうぞお慈悲でございます!……」

と、わななく声で云います。

「失せた物はもう取り返しはつきません。でもせめて、うちのかわいそうなドゥーニャだけはお返しくださいまし。もう十分におなぐさみになったじゃありませんか。どうぞ罪もないあれの身を破滅させないでくださいまし。」

 娘を拐され、なぐさみものにされた(と、信じている)にもかかわらず、シメオンは卑屈とも思えるような態度で懇願します。

 厳然と存在する、ロシア社会の身分差の烈しさです。

 シメオンはしがない十四等官の駅長、ミンスキイは立派な驃騎兵士官です。

 驃騎兵士官であるミンスキイにたいして、十四等官にすぎないシメオンは、愛娘を拐され、なぐさみものにされた、と、信じていても、娘を返せ、と、強く出ることはできず、懇願するように、相手にすがるしかないのです。

 

「できてしまったことは元には返らないものなあ」と青年はひどく当惑の態で答えた。「君には済まないと思うし、また喜んで君の赦しを乞いもしようさ。だがこの私がドゥーニャを見捨てる、なんていうことは思わないでくれないか。あれはこの先も幸福なはずだ、これはきっぱり請け合うよ。それに、君があれを取り返してみたところで何になるかね? あれは私を愛している。あれはもう、以前の身分なんぞはすっかり忘れてしまっているんだ。君にしてもあれにしても、いったん覚えた味は忘れられまいじゃないか。」

 

 そう云ってシメオンの袖の折り返しに、五〇ルーブルの紙幣を押し込んで、彼を帰します。

 貧しい老親から最愛の娘を奪い取っておいて、金でかたをつけようなんぞとは、なんと卑劣なヤツ、と、いまのわたしどもでしたら、そう思うかもしれません。

 なるほど、そう思うのも無理はありません。ですが、先程述べたような、厳然たる身分の差を思い起こしてください。そのような、その身分差が当然であったロシア社会では、このミンスキイの対応は、むしろ、良心的、と、云ってもいいものかも、しれません。

 憎むべきものがあるとすれば、それはミンスキイの対応ではなく、そのような対応をあたりまえのものとする、ロシア社会そのものでしょう。

 シメオンはわが家へ帰ろう、あの宿場へ帰ろう、と、決心しますが、その前にもう一目だけ、かわいそうな我が娘を見ておきたく思い、ふたたびミンスキイの宿を訪れます。

 ところが、従卒に門前払いを食わされ、すごすごと引き返さざるを得ませんでした。

 哀れな駅長は、お寺へ行って祈願した帰り、馬車に乗ったミンスキイの姿を認めます。

 その姿を目にしたシメオンは、一計を案じ、首尾よく、ミンスキイの訪れた部屋に入り込みます。

 そこでシメオンが見たものは、

「流行の粋をつくした装いで、さながらイギリス鞍に横乗りになった乗馬婦人のような姿勢をして、男の椅子の腕木に腰をかけ」、「優しい眸をミンスキイに注ぎながら、男の黒い捲毛を自分のきらきら光る指に巻きつけている」我が娘、ドゥーニャの姿でした。

「かわいそうな駅長よ! 彼には、わが娘がこれほど美しく見えたことはかつてないのだった。」

と、作者は書いています。

 その姿は、ただたんに美しいだけではありません。このうえもなく幸福な姿、幸せに満ちあふれた姿でした。それは、いかにシメオンが娘を愛していても、どうしても与えることの出来ない幸せでした。

「十四等官の官等をもつ紛れもない受難者」、「それこそほんとうの苦役」であるような生活を強いられている駅長が、いかにその愛情をそそごうとも、これほどに娘を幸せにすることはできないのです。

 いみじくもミンスキイが述べたように、シメオンがドゥーニャを取り返してみたところで、いったい、何になるでしょうか。どうにもならないのです。それどころか、「いったん覚えた味」、いったん馴染んでしまったしあわせな生活、ミンスキイを愛し、ミンスキイに愛され、それが実感として現象している生活から、元の貧しい生活、「それこそほんとうの苦役」であるような生活に引き戻されるのは、不幸以外のなにものでもないでしょう。

 作者が「かわいそうなシメオンよ!」と、述べず、「かわいそうな駅長よ!」と、書いているのは、そのためです。シメオンの悲哀、その絶望は、ただたんに、シメオン個人のことではなく、「駅長」と云う、「十四等官の官等をもつ紛れもない受難者」、「それこそほんとうの苦役」であるような生活を強いられている人間一般に共通するものなのです。

 愛情は物質上の満足に優る、いかに物質上の満足を得られても、心からの愛情には及ばない――だれもが、そう信じたいでしょう。物質上貧しい人たちは、ことに、そう思い、そう信じたいことでしょう。

 しかし残念ながら、それは、虚しい願い、はかない思いにすぎません。

 逆説のようですが、そのことを痛切に感じているからこそ、人は、“金(物質上の満足)がすべてではない”、“しあわせは金で買えない”と、強弁するのです。

 虚しい幻想です。

 悲しいかな、愛情は、それが物質と云う具体なものに現象してこそ、理解されます。

 雲をつかむような“愛情”は、しょせん幻想――物質上の満足の前には、あとかたもなく雲散霧消してしまう、儚い幻想でしかないのです。

 その幻想を打ち破るのは、“現実”と云う名の、実際の現象です。

 シメオンも、その幻想を、「わが娘がこれほど美しく見えたことはかつてない」その光景を目の当たりにすることによって、打ち破られました。

 ドゥーニャのその美しさは、ただたんに彼女を囲む物質のきらびやかさ、贅沢さによるものではありません。その美しさは、ミンスキイの愛を受け、心底しあわせに暮らしている生活から醸し出される美しさでした。

 それは、あまりにも残酷な光景でした。

 歴史はその真実を知らしめるため、時に残酷きわまりない仕打ちを個人に与えます。

 逆に云えば、個人が歴史の真実を身に沁みて理解するためには、このような残酷な打撃を甘受せねばならないのです。

 思いがけぬ父親の姿を目の当たりにして、ドゥーニャは絨毯のうえにばったり倒れ、シメオンは忿怒に身を震わせたミンスキイによって、放り出されます。

 シメオンの友人は、告訴するように勧めましたが、シメオンはちょっと思案した後、諦めることに決心して、二日後にはペテルブルグを発って、自分の宿駅さして帰路につきました。そしてふたたび、その職務に返ったのです。

 たとえ友人の勧めにしたがって告訴したところで、「十四等官の官等をもつ紛れもない受難者」である駅長が、ペテルブルグの驃騎兵士官に勝訴することはできないでしょう。よしんば勝訴し得たにしても、その結果は、娘のしあわせを奪い、「紛れもない受難者」、「それこそほんとうの苦役」である生活へと引き戻すことにしかなりません。

 ミンスキイの云うように、「いったん覚えた味」、都会の生活、その華やかな暮らしのなかにしあわせを見いだした以上、元の貧しい暮らしに戻ることは、それこそ、「苦役」以外のなにものでもないでしょう。

 そのことを理解したからこそ、シメオンは告訴もせず、元の、自分の宿駅に帰り、その職務に返ったのです。

 シメオンは、しかし、都会の華美な生活のなかに、人間のしあわせがあるとは、どうしても思えません。シメオンに実感できるしあわせとは、華美贅沢を望まず、旅人の無理難題、横暴打擲に耐え、その日その日を無事に過ごしていく、そんな生活です。

 いまやシメオンは、自分が感じるしあわせと、娘が求めるしあわせとが、まったく違ってしまったことを理解しました。

 同時に、自分が、娘に、娘の望むしあわせを与えてやれないことにも気づきました。

 残酷なことです。悲しいことです。

 どんなに愛し、どんなに慈しんでいても、もはやシメオンには、我が娘をしあわせにすることはできないのです。

 

「これでもう三年目になりますよ」駅長は昔馴染みの旅人(この物語の語り手)に、一部始終を語って聞かせると、そう云って、言葉を結びました。「この家にドゥーニャがいなくなって、あれのことを風の便りにも聞かなくなってからね」

 現在となっては、駅長は、自分のかわいい娘が、生きているのか死んでいるのかすら、知りません。

 ただ彼は、ドゥーニャが「しばらく囲われたあげくにぽんと振り捨てられ」、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという浅慮女」たちと同じようになる、と、そのことだけは、信じて疑っていません。

 実際ペテルブルグには、「旅の悪戯者に誘き出されて、しばらく囲われたあげくにぽんと振り捨てられ」た女、「今日のところはやれ繻子だ、やれ天鵞絨だとぴかしゃかしているが、明日になって見りゃ、木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという浅慮女が、うんとこさ」いるのです。

 駅長は、「ドゥーニャも成れの果てにはそんなふうになるのじゃあるまいかと思うたびに、罪深い話ですがつい私は、いっそあれが死んでくれればいいにと思いましてね」と、その苦衷を打ち明けます。

 しかし、そう思う一方で、ドゥーニャのしあわせが、少しでも長く続くように、と、思わずにはいられなかったでしょう。

 

 シメオンは、酒の飲み過ぎで、亡くなりました。

 酒に溺れてはいても、シメオンは、子どもには優しく、慕われていたようです。

 風笛のつくり方を教えたり、胡桃を分けてあげたり、しょっちゅう、子どもたちと遊んでいました。

 或る夏の日、「どっかの奥さん」が、シメオンを訪ねてやって来ました。

 その「奥さん」は、「六頭立ての箱馬車で、小ちゃな坊ちゃん三人と、乳母と、真黒な狆を連れてやって来た」のですが、「駅長が死んだと聞くと、泣き出し」て、子どもたちを残して、シメオンの墓に参りました。

 その「奥さん」はシメオンの墓前に来ると、そこへ「ぶっ倒れたなり、いつまでも起きあが」りませんでした。

 そしてその「奥さん」は、坊さんにお金を渡し、シメオンのことを教えてくれた子どもにも五コペイカ銀貨をあげて、行ってしまいました。

 この物語の語り部は、「私もその男の子に五コペイカやったが、この村に寄ったことも、それに使った七ルーブルも、もはや惜しいとは思わなかった。」と、結んでいます。

 

 シメオンを訪ねてやって来た「どっかの奥さん」が、ドゥーニャであることは、間違いないでしょう。

 ドゥーニャは「しばらく囲われたあげくにぽんと振り捨てられ」、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという浅慮女」たちと同じ運命に陥ることなく、ミンスキイに愛されて三人の子どもをなし、かつて自分に「ハンカチや耳輪を」くれた、身分高い「奥様がた」のひとりとなって、父のもとを訪れたのです。

 ミンスキイはシメオンに請け合ったように、ドゥーニャを見捨てるようなことはせず、その後もドゥーニャの幸福は続いたのです。

 

この書評の冒頭で、筆者は述べました。

「この短い物語のなかに、雄大な歴史の流れが、感じられる」、「たった三人の登場人物のそれぞれが、悠久なロシアの歴史の流れを、その一瞬を、みごとに体現して」いる、と。

以下にそのことを、もう少し詳しく述べてみましょう。

 

付論~「駅長」その背景にあるも

 

 この作品に登場する三人の主要人物――駅長のシメオン、その娘ドゥーニャ、ペテルブルグの若き驃騎兵士官ミンスキイ――、彼らの背後にあって、彼らの感情、彼らの思い、彼らの考え、彼らの意志……、そして、彼らの運命すらをも支配していたのは、ロシアの歴史、より精確に云えば、ロシアにおける商品経済の発展です。

 経済――商品経済の発展が、どうして個人の思い、感情、考え、意志、等々を支配できるのか、おおかたの人は、そのような疑問を抱かれることでしょう。

 その疑問にお答えしよう、と、云うのが、この付録の内容です。

 商品経済の発展とは、多くの商品が生産され、流通し、消費されるようになることです。

――なにを分りきったことを……。

 と、云わないで、もう少し、お付き合いください。

 そもそも商品とは、なんでしょうか。

 さまざまな意見、解釈、定義があるでしょうが、ここでは、それを生産した人以外の人によって消費されるために生産されたモノ、と、理解しておいてください。

 さて、生産されたモノ――生産物――が、たんに生産物であるにとどまらず、商品となるには、その生産物が、他の生産物と交換されなければなりません。

 この、他の生産物も、それとは違う、他の生産物と交換され、それを生産した人以外の人によって消費されるために生産されます。

 したがって、商品は、たがいに交換されなければ、少なくとも、交換を目的として生産されなければ、商品とは云えません。

 さて、商品が、交換を目的とした生産物である以上、当然に、その生産物と交換される、他の生産物を必要とします。その、他の生産物が、手近にあればいいのですが、なければ、あるところまで、その生産物を捜し求めねばならないでしょう。みずからの生産物を持って、その生産物と交換され、みずからが必要とする他の生産物を求めて、他の地に赴きます。

 流通の原初形態です。行商や交易、あるいは、貿易、などと呼ばれるものの、原初形態、基本形態です。

 流通が発展しますと、商品を媒介として、必要とする商品を入手するようになります。

 具体例としまして、Aと云う商品を生産した人が、Xと云う商品を必要としているとしましょう。

 AとXとを、直接交換できればいいのですが、実際には、なかなかそうは、まいりません。

 そこでAと云う商品を生産した人は、自分が生産した商品であるAを、とりあえず、Bと云う商品と交換します。Aの代わりにBを手に入れたAの生産者は、今度はそのBを、Cと云う商品と交換します。そしてそのCを、今度は、Dと云う商品と交換し……、その過程を繰り返して、やっと、Xと云う、自分が望んでいた商品を手に入れます。

 この過程を手軽にするために発生したのが、金銭――いわゆる“カネ”――です。

 金銭(カネ)は、あらゆる商品の共通項です。Aと云う商品は、かならずしも、他のあらゆる商品と交換され得るとは限りません。Bとなら交換されるかもしれませんが、Fとは交換できない、そんな場合が、往々にして発生します。

 しかし、金銭(カネ)は、あらゆる商品と交換され得るのです。金銭(カネ)が珍重される由縁です。

 話を戻しましょう。

 商品はその性質から云って、他の商品と交換されなければ、意味を成しません。商品は他の商品と交換され得るために、相手にとって、魅力のある生産物でなければなりません。その商品を手に入れたい、その商品を消費したい、そのような、人間の欲望をかきたてなければなりません。

 シメオンの駅舎を通過する身分高い「奥様」と呼ばれる人たちがドゥーニャに与えてくれるハンカチや耳輪、「旦那がた」と呼ばれる男連中の身装、それらはみな、それらを手に入れたい、と、思わせる、立派な商品です。

 魅力ある商品は、人びとに、それが豊富に存在し、手に入れやすく、消費されている地域――いわゆる都会への憧れを呼び起こします。

 ドゥーニャは駅舎を訪れる旅人たち――身分高い奥様や旦那がたと呼ばれる人たち――と接することによって、彼らとの会話や、奥様と呼ばれる身分高い女性がくれるハンカチや耳輪などを通して、それらの商品を得ること、それらの商品を得られる生活にたいする欲望、都会への、そこでの生活への憧れをかきたてられます。

 豪華な服装や装身具、きらびやかな生活にたいする憧れなどは、いかにも軽佻浮薄、いかにもミーちゃんハーちゃんした感覚、と、しか、思えないかもしれません。

 それは、しかし、シメオンとおなじ感覚感情です。

 シメオンが生きてきた時代は、華美華麗を希まず、与えられた生活に満足し、慎ましやかに暮らしていくことが幸福であったような時代でした。

 華美華麗、贅沢な生活を望んでも、それは果敢ない、徒な望みにすぎません。

 運よくそのような華美華麗な生活、贅沢な生活に触れることが出来ても、それはほんの一時のことにすぎず、すぐに零落して、みじめな境遇に陥ることになる……。

 それがシメオンの生きてきた時代であり、それはそれで、真実でした。

 しかし真実は、時の流れとともに変容していくものです。

 シメオンの真実は、彼の娘ドゥーニャにとっては、もはや真実ではありませんでした。

 ドゥーニャが都会の生活に憧れ、ミンスキイの誘いに乗って、ミンスキイとともに都会――ペテルブルグ――に出て行こうとするその思いは、なるほど、軽佻とも思えましょう。浮薄とも評されましょう。

 しかし、そのドゥーニャのその思い、その感情は、商品経済の発展が産み出した、新しい思い、新しい感情です。

 ドゥーニャとて、やさしく、自分を愛してくれている父親との生活に、なんらの不平不満もなかったことでしょう。

 ドゥーニャがミンスキイとともに、長年住み慣れた我が家を離れようとしていたときに見せた表情――ミンスキイが「ついでに村はずれの教会まで送って行ってやろうと言い出した」とき、「当惑してたたずんでいた」、そのときに見せた表情、そして、「途々ずっと泣きどおしだったけれど、そのくせ好き好んで乗って行くような様子だった」、そのときの感情、それらはまさに、歴史の進展が、個人の肩に重くのしかかってきたときに、その重圧に耐える個人に芽生える感情です。

 いくら眺めてもながめ足りない、いくら賞でても賞できれないほどに、かわいがってくれた父親、旅人の理不尽な罵詈雑言や鞭に怯えて、雨が降ろうが、霙が降ろうが、馬を求めて、一軒一軒、近在の百姓家を探して回らなければならない、老いた父親を残して、旅立って行くのです。

 その心に哀惜未練の念が起らないはずはありません。

 しかし、そんな念、そんな思い以上に、商品の魅力がもたらす、都会への憧れは、強いものなのです。

 老いた父親と、その愛情に育まれた生活への訣別、華やかな都会での生活にたいする憧憬、その葛藤が、ドゥーニャの感情を困惑させ、出立に際しての当惑した表情、「途々ずっと泣きどおしだったけれど、そのくせ好き好んで乗って行くような様子」として、現れたのです。自分ではどうすることもできない、相反する感情の葛藤がきわまったとき、堰を切った涙として現象したのです。

 ミンスキイは、ロシアの商品経済の発展が産み出した、新しい個性です。

 商品経済の発展は、当然に、商品の流通を促進し、それにともなって、人びとの流通――交流をも、促進させます。

 その結果として生じる人と人との接触は、いままでになかった新しい感情を、人びとの胸の内に、生じさせます。

 商品経済が発展する以前の社会組織は、いわゆる、封建社会、と、称されています。

 封建社会は、人びとを、そのたずさわる職業によって固定し、それを世襲とすることによって、支配層の安定を期し、ひいては、社会の安定を期そうとします。

 人びとは法によってその職業を固定され、その職業を世襲とすることを余儀なくされ、住む地域すら、定められます。さらには、そのたずさわる職業ごとに社会での関係を秩序づけられます。いわゆる、身分制度門閥制度、と、云うものです。

 商品経済の発展は、そのような封建社会を、根底から破壊します。

 誤解のないように申し添えておきますが、封建社会において、商品の生産や流通、消費が、まったくなかったわけではありません。封建社会においても、商品は生産され、流通し、消費されていました。ただ、その生産力が低かったために、各種のモノが滞りなく生産されるよう、生産者の職業を固定し、その職業を世襲と定めざるを得なかったのです。

 およそ、封建社会のみならず、いかなる社会においても、また、支配層であれ、被支配層であれ、より豊かな生活を指向するのは、人間本来の欲望――本能、と、云っても、いいでしょう。動物でも、よりおいしい獲物、より多くの獲物を指向するものです。

 封建社会では、貢納(税金)と生産物の自家消費を経済の建前としています。しかし、より豊かな生活を指向すれば、当然、より多くのモノを生産しようとし、また、生産させようとします。そうして、より多くのモノが生産され、その生産物が、貢納や自家消費の限界を超えるようになりますと、その超過分――余剰物は、商品と化して、流通するようになります。むろん、納屋や倉庫などで死蔵され、腐敗したり、錆壊したりする場合もあるでしょうが、それよりも、商品として流通させ、他の商品と交換するほうが、はるかに得である――欲望を満足させる――ことは、だれにも明らかです。

 生産力が発展し、ますます多くの生産物が商品となり、その流通が活発になりますと、人の往来交流もまた、活発になります。当然です。商品がそれ自体で移動するわけではないのですから。

 封建社会の下に制限された居住地域から離れ、実際にその人びとと触れ合えば、人間が拵えた身分差などは、雲散霧消します。もちろん、長きにわたって植えつけられた観念――ここでは、身分差の自覚――が、一朝一夕に雲散霧消するわけではありません。実際、シメオンの駅舎を訪れる旅人たちは、遠慮会釈もなく、腹立ちまぎれに、怒声と革鞭を浴びせかけ、無理難題を押し付けます。それがふつうのことであり、旅人もシメオンも、それを不条理とも、理不尽とも思いません。それが、封建社会における人びとの意識です。

 ミンスキイは違いました。なるほど、ミンスキイも最初は、怒声と革鞭を振り上げようとしました。しかし後には、シメオンやドゥーニャ相手に冗談口を叩いたり、旅人たちと話したり、旅人たちの駅馬券を駅逓簿に写しとったりするようになりました。

 当時のロシアにあっては、驃騎兵士官と云えば、貴族も同然の身分です。そのミンスキイが、戯れにもせよ、駅長と云う、最下等の官等をもつ人間の仕事を引き受けるのです。

 シメオンはこのミンスキイをすっかり気に入り、彼が出立するに際しては、彼と別れるのを、辛く思うようにまでなりました。

 またミンスキイは、ドゥーニャを棄てることなく、ドゥーニャはミンスキイに愛されて三人の子どもをなし、かつて自分にハンカチや耳輪をくれた、身分高い奥様がたのひとりとなりました。

 個人の愛情が、封建社会の作り出した「身分」の壁を打ち壊したのです。

 なるほど、それは、偶然だったのかも知れません。たまたま、ミンスキイが、身分差などにこだわらない、やさしい人間だったのかも知れません。

 しかし、そうでないことは、つたないながらも、本論で述べてきたところです。

 ドゥーニャの欲望、憧れも、ミンスキイのやさしさ、愛情も、ロシアにおける商品経済の発展がもたらしたものなのです。

 それでは、シメオンの場合は、どうでしょうか。

 シメオンにも、この、老いた駅長にも、ロシアにおける商品経済の発展がもたらした影響は及んでいます。

 精確に云いますと、シメオンには、この老いた駅長には、ロシアにおける商品経済の発展がもたらした影響は、及びませんでした。

 妙な比喩ですが、我が国の明治維新期において、多くの下級士族たちが時勢に順応し得ず、没落していったようなものです。

 悲しいかな、シメオンは時勢に順応するには、あまりに年老いてしまっていました。

 年をとると、時代についていけなくなっていく、とは、よく聞く言葉です。

 それではなぜ、人は年をとると、時勢についていけなくなるのでしょうか。

 思いますに、個々の体験が長年にわたって蓄積され、経験として強固に確立されるためでしょう。その生活が変化に乏しく、単調であればあるだけ、おなじ体験が繰り返され、積み重なり、それだけ、強固な経験となります。

 余談ですが、我らが仲間の哲やんは、「経験とは、体験が積み重なったものである」と、述べています。

 そして、「経験を基礎として、それに知性の働きが加わり、さまざまな思惟様態――意見、意志、考え、判断、信念、思想なんか――が産まれる」と。

 閑話休題

 生活のなかで蓄積され、経験として固まった体験に知性が働いて生じた観念は、人生観、処世訓、生活の知恵、などと、呼ばれます。

 それらの観念――人生観、処世訓、生活の知恵、など――の基となる経験が強固であればあるだけ、それらの観念もまた、強固になります。長い年月を経て強く固められたそれらの観念――人生観、処世訓、生活の知恵、等々――は、容易なことでは改められません。そして、新しい事象、時代の変化について行けなくなります。

――最近の若い者は……。

――昔はよかった……。

 そんな思いが脳裏をよぎったり、口を突いて出るようになります。

 それだけならまだいいのですが、時代の流れは、ときとしてそんな個人に、残酷きわまりない、痛烈な打撃を与えます。

 シメオンは、ミンスキイとともに旅立ったドゥーニャを、「うちの迷える子羊」と考え、自分はきっと彼女を「連れもどせることになるだろうよ」と、信じます。

 利発であるドゥーニャが、自分の駅舎の壁に飾ってある安っぽい絵草子の放蕩息子のように、軽佻浮薄な(と、シメオンには思える)都会でのきらびやかな生活に憧れを抱くはずがない、と、シメオンは固く信じています。

 年老いたシメオンには、時代の流れ――ロシアの商品経済の発展がもたらした、ドゥーニャの欲望も憧れも、とても理解できるものではありません。

 身分の差を考慮しないミンスキイの個性も、シメオンには、理解できないものです。

 ミンスキイがいくら、「この私がドゥーニャを見捨てる、なんていうことは思わないでくれないか。あれはこの先も幸福なはずだ、これはきっぱり請け合うよ。」と云っても、とても信じられません。

 シメオンは、やがてドゥーニャも見捨てられ、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという浅慮女」と、同じ運命に陥るであろうことを、信じて疑いません。

 なるほど、シメオンがその生涯の大半を過してきた時代では、そうだったでしょう。ミンスキイのような人間――ミンスキイのような身分の人間は、シメオンのような十四等官の人間なぞ、人間とも思わず、感情のおもむくまま、遠慮会釈なしに、怒声と革鞭を振り上げ、その娘なぞ、しばらく囲ったあげくにぽんと振り捨てても、なんら良心の痛痒も感じないような人間だったでしょう。

 実際、ペテルブルグと云う都会には、「旅の悪戯者に誘き出されて、しばらく囲われたあげくにぽんと振り捨てられ」、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという」ていたらくになった女たちが、無数にいます。

 それでも、それが解っていても、ドゥーニャのような娘たちは、都会に憧れ、都会に出て行こうとします。その都会の魅力、ドゥーニャのような娘たちを――あるいは若い男たちをも――惹きつける都会の魅力が、商品経済の発展によって醸成された魅力なのです。

 そしてまた、ドゥーニャを見捨てなかったミンスキイの個性が、おなじくロシアの商品経済の発展が産み出したものであることも、上述したとおりです。

 たしかに、「旅の悪戯者に誘き出されて、しばらく囲われたあげくにぽんと振り捨てられ」、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという」ていたらくになる女たちは、この物語の後にも、数多く醸成されるでしょう。商品経済が発展するにつれて、それだけ都会への憧れは増し、強くなり、都会へ出て行こうとする若者は、ますます増えるでしょう。そうして都会に出て行き、零落して行く人びとも、増えていくでしょう。

 しかしその一方で、ドゥーニャのように、身分高い立派な奥さま、となるような人間も出てきます。

 ミンスキイのように、十四等官の娘であるにもかかわらず、そんな身分差など歯牙にもかけず、ひとりの人間を、ひとりの人間として愛するような人間も出てきます。

 それが、商品経済の発展が個人に及ぼす成果です。

 シメオンにはそのことが理解できません。シメオンは、ドゥーニャもやがて、ミンスキイに見捨てられ、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという浅慮女」と同じ運命に陥るであろうことを信じて疑わず、「ときどきドゥーニャも成れの果てにそんなふうになるのじゃあるまいかと思うたびに、罪深い話ですがつい私は、いっそあれが死んでくれれはいい」とまで、思うようになります。

 そう確信していても、シメオンには、どうすることもできません。いみじくもミンスキイが云ったように、「いったん覚えた味」、都会でのきらびやかな生活は、忘れられるものではありません。しかもそれは、ドゥーニャが夢見、憧れ、望んでいた生活なのです。そのうえ、ドゥーニャがミンスキイに愛され、いかに幸せであるかは、シメオン自身が、その目で見た86ところです。

 そんなドゥーニャを無理矢理連れ戻し、元の生活に戻しても、その生活は、「紛れもない受難者」の生活、「ほんとうの苦役」であるような生活です。いったん都会でのきらびやかな生活、ミンスキイの愛情を受けた、幸せそのものの生活――しかもその生活は、かつて夢見、憧れ、望んでいた生活――を送ったドゥーニャにとっては、かつての暮らしに戻ることは、それこそ、二重にも三重にも、辛く、悲しいことになるでしょう。その生活は、ドゥーニャにとって、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという」生活と変らないものでしょう。いえ、たとえ「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという」生活でも、ドゥーニャには、そのほうが好ましく思えるでしょう。

 なるほど、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという」生活も、「紛れもない受難者」の生活、「ほんとうの苦役」であるような生活であることに変わりはありません。しかし、おなじ「紛れもない受難者」の生活、「ほんとうの苦役」であるような生活ならば、いったん都会での生活を経験した、ドゥーニャのような人は、都会での生活を選ぶでしょう。

 それほどまでに、都会の魅力――あらゆる商品が集積し、販売され、消費される都会での生活は、強いものなのです。

「ちょっと待てよ」と、云う声が聞こえてきます。「なるほど、都会での生活はいいものだろうよ。でも、みんながみんな、都会にしがみついてるわけじゃないぜ。若い人たちでも、都会での生活を離れて、田舎に戻って、充実した生活を送ってる人たちはたくさんいるじゃないか」

 と、その声は云っています。

 もっともです。しかしそれは、商品経済が発展して、田舎も都会化し、あるいは田舎にも都会への発展の可能性が芽生え出してきた時点において、現象することです。

 この作品の中の時代は、まだそのような時代ではありません。特定の地域が、ようやく都会として、成立しだした時代です。歴史の観点から云えば、封建社会が崩壊し始め、新たな時代が開けようとしていた時代なのです。そのことを念頭に置いておかなければなりません。

 閑話休題

 シメオンは、もはや、ドゥーニャが求める幸せと、自分が信じる幸せとが、まったく違ったものであることを理解しました。理屈ではなく、「流行の粋をつくした装いで、さながらイギリス鞍に横乗りになった乗馬婦人のような姿勢をして」、「優しい眸をミンスキイに注ぎながら、男の黒い捲毛を自分のきらきら光る指に巻きつけている」、「これほど美しく見えたことはかつてない」ドゥーニャの姿を、実際に自分の目で見て、理解したのです。

 強烈な体験でした。残酷な体験でした。歴史がシメオンに与えた、残酷な体験でした。

 シメオンには、そのような幸せを、我が娘、ドゥーニャに与えてやることはできません。

 シメオンがどんなにドゥーニャを愛し、かわいがっても、「いくらながめてもながめ足りない、いくら賞でても賞できれない」ほどかわいがっても、シメオンには、我が娘、ドゥーニャが望み、求める幸せを与えてやることはできないのです。

 そして、我が娘、ドゥーニャが、「いくらながめてもながめ足りない、いくら賞でても賞できれない」ほどかわいがっていた我が娘が、やがてはミンスキイに見捨てられ、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという浅慮女」と同じ運命に陥るであろうことを信じていながらも、どうすることもできないのです。

 なんと残酷なことでしょうか。なんと悲しいことでしょうか。

 歴史が与えた残酷な仕打ち、その悲しみが、シメオンを酒に走らせます。かつては「粗末ながらに小ざっぱりした住家」、「鳳仙花の鉢植えや、色模様の帳のかかった寝台や」は、「窓べにはもう花はなくて、あたりのものはみんな古色蒼然と、荒れるに任せた様子」になってしまいました。

 シメオンは、酒の飲み過ぎで、死んでしまいます。

 それほどまでに酒に溺れながらも、子どもには慕われていたようです。

 いまではビール醸造人の家となっている、かつてのシメオンの駅舎を訪ねてきたこの物語の語り部は、そのビール醸造人の息子――襤褸をさげた赤毛で片目の男の子――の案内で、村はずれの墓地に赴きます。

 その道すがら、亡くなった駅長、シメオンのことを訊ねます。

 

「お前、死んだ駅長さんを知ってたかい?」

「知ってたとも! 俺ら風笛のこしらえ方を教えてもらったっけ。小父さんが居酒屋から出て来るとな(天国に安らわせたまえ!)、俺らはみんなであとからくっついてって、『小父さん、小父さん! 胡桃をくんな!』って言うんだ。するとみんなに胡桃を分けてくれるんだよ。しょっちゅう俺らと遊んでたよ。」

 

 みずからの無力を思い知らされ、歴史の流れに取り残されたシメオンには、子どもたちとの交流が、唯一の心の慰めだったのでしょう。

 子どもたちには、まだ、商品経済の発展の影響は及んでいません。昔ながらの風笛で遊んだり、胡桃を欲しがったり、商品経済の発展から取り残されたシメオンにとっては、心を通わせられる存在です。

 「子どもたちには、まだ、商品経済の発展の影響は及んでいません。」と、記しました。そう、「まだ」なのです。シメオンを慕っている子どもたちにも、やがて、商品経済の発展がもたらす影響は及んでくるでしょう。シメオンは、商品経済の発展から取り残された人間です。しかし、子どもたちは、これから、商品経済の発展の洗礼を受ける人間です。

 シメオンにも、そのことは解っていたでしょう。厳しい“現実”によって、もはや自分が歴史の流れ――商品経済の発展――から取り残された、無力な人間であることを体験したシメオンには、理屈ではなく、実体験として、そのことが理解できたことでしょう。

 この物語の語り部は、シメオンの墓に案内してくれた子どもから、ドゥーニャと思われる「きれいな奥さん」が、「六頭立ての箱馬車で、小っちゃな坊ちゃん三人と、乳母と、真黒な狆を連れてやって来た」ことを聞きます。

 この物語の語り部は、シメオンの墓に案内してもらい、ドゥーニャがこの墓を訪ねてきたことを話してくれた男の子に、「五コペイカをやったが、この村に寄ったことも、それに使った七ルーブルも、もはや惜しいとは思わなかった。」と、結んでいます。

 それはただたんに、ドゥーニャがミンスキイに見捨てられ、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという浅慮女」と同じ運命に陥ることなく、かつて自分に「ハンカチや耳輪を」くれた、身分高い「奥様がた」のひとりとなり、それでも自分をかわいがってくれた、できるかぎりの、最大の愛情を注いでくれた父親のことを忘れず、そのもとを訪ねてきたことを、嬉しく思ったばかりではないでしょう。

 ドゥーニャがミンスキイに見捨てられることなく、立派な「奥様」となって、幸せに暮らしていることは、これから、そのような人たち――ドゥーニャのような人たち――が、ますます多くなってくるであろうことを、予感させます。

 歴史の流れは、シメオンのような人々を多く作り出す一方で、ドゥーニャやミンスキイのような人々――人間が創り出した身分などを歯牙にもかけず、人間を、ひとりの人間として、愛し、愛されるような人々――をも、作り出します。

 都会に憧れ、都会に出てきても、「木賃宿にごろごろしてる連中の仲間入りをして、街路掃除でもしていようという」生活に陥る人々も、少なくなっていきます。

 それが、歴史の発展であり、商品経済の発展がもたらす成果です。

 この物語の語り部は、ドゥーニャ、ミンスキイ、シメオンの、それぞれの人生によって、そのことを理解したからこそ、この物語を書きとどめ、また、シメオンの墓に案内してくれた子どもに、「五コペイカをやったが、この村に寄ったことも、それに使った七ルーブルも、もはや惜しいとは思わなかった」のでしょう。

 

   おわりに

 

 いかがでしたか?

 「はじめに」で述べた、“名作とは、その話のなかに、歴史の流れが感じ取られる作品の事である。”と云う意味が、少しでも、お解りいただけましたでしょうか。

 重箱の隅をつつくような細かい詮索に、ウンザリされたかたもいらっしゃるかも知れません。

 また、文学作品の理解のために、歴史――とりわけ、経済の発展形態――を必要としたことに、面食らわれたかたもいらっしゃることでしょう。

 しかし、「はじめに」で述べましたように、“名作とは、その話のなかに、歴史の流れが感じ取られる作品の事である”以上、その作品をより深く理解するために、その話のなかに流れる歴史をも、理解しなければならないのは、当然でしょう。

 逆に申しますれば、その作品のなかに流れる歴史を理解することによって、その作品の理解がいよいよ深まるような作品こそが、“名作”と賞されるにふさわしい、とも、云えるでしょう。

 なお、ここで一言しておきますが、“理解”、あるいは“理解する”と、云いますと、なにやら、無機質な、味気ない、頭だけでの把握、と、思われがちですが、けっしてそんなことはありません。

 この小論をお読みいただいたかたなら、お解りいただけたことと思いますが、より深く“理解する”ことによって、より深い“感動”が生まれるのです。

 なるほど、たとえロシアにおける商品経済の発展を知らなくとも、最愛の娘ドゥーニャを失ったシメオンの悲しみ、父のもとを離れ、ミンスキイとともに旅立ってゆくドゥーニャの揺れ動く心、しがない十四等官の娘であるドゥーニャを見捨てなかったミンスキイのやさしさ、この物語を聞き知った語り手の想いなどは、充分な感動――あるいは共感――を、わたしたちに与えてくれるでしょう。

 しかし、その背景をなす歴史の流れを知れば、その感動は、よりいっそう、深まるでしょう。

 この小論を草したのも、そのことを実証せんがためなのですが、はたしてその目論見が功を奏したかどうかは、この小論を読んでいただいたみなさんのご判断を俟つのみです。

「夕鶴」考         築山散作

民話や童話、伝承伝説などには、“異類婚姻譚”と呼ばれるジャンルに分類される話があります。
異類婚姻譚”とは、「人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称」です。(Wikipediaより)
世界各地に残る神話伝説、とりわけ古代国家の建国伝説は、ほぼすべてが、この“異類婚姻譚”である、と、云えるでしょう。
我々に身近な話では、信太山の葛葉伝説や、アンデルセンの人魚姫などが思い浮かびます。雪女なども、このジャンルに入るでしょう。
なかでも有名なのが、「夕鶴」です。

これらの話には、一定のパターンがあります。
それを概括しますと、以下のようになります。

 

1.援助 - 例:動物を助ける。
2.来訪 - 例:動物が人間に化けて訪れる。
3.共棲 - 例:守るべき契約や規則がある。
4.労働 - 例:富をもたらす。
5.破局 - 例:正体を知ってしまう。(見るなのタブー)
6.別離

 

「夕鶴」はこのパターンを完璧に備えています。
それゆえにこそ、「夕鶴」は、いまに語り継がれる名作になっていると云えるのですが、しかし、「夕鶴」の魅力は、それだけに尽きるものではありません。
それではなにゆえに、「夕鶴」はかくまでに魅力があるのでしょうか。
「夕鶴」が如何に上記のパターンに合致しているかを検証しつつ、それだけに止まらない「夕鶴」の魅力を、以下の叙述で、明らかにしていきます。

1.援助 - 動物を助ける。
或る日の夕暮れ、猟師の与兵(よひょう…漢字は筆者の当て字)は、罠にかかっている一羽の鶴を助けます。

2.来訪 - 動物が人間に化けて訪れる。
その夜、ひとりの女性が、与兵のもとを訪れます。彼女は夕刻、与兵が罠から助けた鶴でした。

ここで誤解してはならないのは、与兵に助けられた鶴は、助けられた恩返しにやってくるわけではない、と、云うことです。
ですから、「夕鶴」を「鶴の恩返し」と題することには、違和感をおぼえます。
動物たちの世界と云いますと、自然で、鷹揚で、のびのびしていて、ゆったりした、いかにも平和な世界、と、思われがちですが、じつはそんな生易しいものではありません。
動物たちの住む世界は、まさに弱肉強食、強いものだけが生き残り、弱いものは死なねばならない、つらく、厳しく、残酷な世界なのです。
とりわけ人間の存在は、動物たちにとっては、恐ろしく、いやらしく、忌まわしいものでしょう。
彼らは木を伐採して自分たち(動物)の住処を奪い、罠を仕掛け、弓鉄砲、銛網などの道具を使い、自分たち(動物)を苦しめます。
自然界のあらゆる動物たちにとって、人間こそは、最大の天敵でしょう。
そんななかにあって、人間の仕掛けた罠にかかって苦しんでいる自分を助けてくれた人間の存在は、動物にとっては、とても信じられないものでしょう。
罠にかかって捕えられたら、それはすでに死を意味するのが、動物の世界の常識です。
それを助けてくれるのですから、動物としては、とても信じられない出来事です。
助けられた動物は、そのやさしさに惹かれて、人間のもとに嫁いでくるのです。
ちょっとした油断が死を招く厳しい世界とは全く異次元の、やさしく、あたたかく、ほのぼのとした世界、常に死の危険と隣り合わせの過酷な世界、そんな世界とは無縁の生活……。
「この人となら、仕合せに生きていける」
そう思わせる魅力が、動物を助けた人間には感じられるのです。
それを「やさしさ」と云ってしまうのは簡単です。
しかし、その「やさしさ」とは、じつは比類のないものなのです。
たいていの人間にとっては、動物とは、自分の生存を維持するための、「材料」にすぎません。
魚、豚、鶏、牛、……みなそれらの動物を殺し皮を剥ぎ、身を削り取って煮たり焼いたり炊いたりして、自分が生きるための食料とします。
或いはその皮を剥いで身にまとい、寒暑をしのぐための衣服とします。
それが人間にとっては、当たり前のことなのです。
動物の側から見れば、自分たちをそのような「材料」としてしか見ていない人間が、罠にかかった自分を助けてくれるのです。
すばらしいことです。
そこには、人間も動物もない。ともにこの大自然で生きている、ともに命をもっている存在なんだ、と、云う思いがあります。
その心性に、命を助けられた動物は惚れ込むのです。
そうして、人間の姿をとって、彼のもとに嫁いでくるのです。

3.共棲 - 守るべき契約や規則がある。
4.労働 - 富をもたらす。
「つう」と名のり、与兵と暮らすことになった鶴は、動物のときには考えられもしなかったような仕合せな日々を過ごします。
鷲や鷹のような、恐ろしい同属の攻撃に怯えることもありません。
人間の鉄砲や弓に傷つけられる恐れもありません。
傍らにはやさしい与兵がいます。
村の子供たちは、彼女を慕い、「おばさん、おばさん、遊ぼうよ。遊んでよ」と、云って、その後をついてきます。
大人にとって子どもとは、未熟なもの、育てらるべきもの、これから大きくなるもの、です。
謂わば、大人は教師であり、子どもは生徒です。
しかし、本来が動物であるつうには、そんな人間の了解はありません。
命あるものは、みな自分と同じ存在、動物も人間もない、この大自然に生きるものは、みな同じ仲間なのだ、と、云う、思いがあるだけです。つうには、大人も子どももありません。共に同じ大自然の存在なのです。
それがつうのやさしさであり、その思いがにじみ出るからこそ、子どもたちはつうの後を慕ってくるのです。
与兵の暮らしは貧しいものですが、本来動物(鶴)であるつうにとっては、「貧しさ」と云う考えはありません。
本来動物であるつうにとっては、「金銭」も「豊かさ」も「貧しさ」も、なんのことなのか、分かりません。
つうに分かるのは、あたたかく、ほのぼのした、平和で、仕合せな、毎日の暮らしのことだけです。
それでもつうは、人間が、「金銭」とか、「豊かさ」とかを希い、求めていることは理解しています。
それゆえにこそ人間は、自分たち動物を捕え、その肉を食し、その皮を剥ぎ、その羽毛をむしり、自分たちの生活の具に資するのです。
つうは夜になると一室に籠り、元の鶴の姿に戻って自らの羽を抜き、翌朝には美しい布を織り上げます。
つうには、なぜ人間が、自分たちの羽毛をむしりとって、布をつくるのか、その理由は分かりません。
つうに分かるのは、人間は自分たちを捕えてその肉を喰らい、自分たちの羽毛をむしって、自分たちの身を飾る布にする、恐ろしく、残酷な存在だ、と、云うことです。
そして人間たちは、自分たち鶴の羽毛で拵えた布を手にすれば、たいへん喜ぶ、と、云うことです。
つうは自分の羽毛を抜いて、美しい布を織り上げます。
与兵に喜んでもらいたい、与兵の喜ぶ顔が見たい、その一心で、つうは、文字どおり、身を切るような痛さを堪えて、みずからの羽毛で布を織り上げます。
つうは、与兵に金持ちになってもらいたいわけでも、もっといい暮らしをしてもらいたいわけでもありません。罠にかかった自分を助けてくれたお礼などでは、もとより、ありません。
ただひたすらに、与兵の喜ぶ顔が見たいだけなのです。
愛する人の喜ぶ顔が見たい、愛する人に、いつまでも仕合せでいてほしい……。
そのために、なにかしたい。自分のしたことで、好きな人が、愛する人が喜んでくれる、それこそが、自分の仕合せである……。
つうがみずからの羽毛を引き抜いて、一枚の布を織り上げる裏には、そのような美しい心が籠められているのです。
だからこそ、つうの織り上げた布は、都でも評判になるくらい、美しくも優しいものとなるのです。

つうはその布を織り上げるための室に籠るとき、なにがあろうと、絶対にこの室のなかを覗かないでください、と、念を押します。
羽毛を抜いて布を織り上げるためには、つうは人間の姿から、元の鶴の姿に戻らねばなりません。
もしその姿を見られたら、つうは、もはや与兵と一緒に暮らしていくことは出来ないのです。
いかに人間の姿をとっていようとも、つうは鶴です。
与兵は人間です。
鶴と人間、本来、「結ばれるはずはない」ふたりです。
いえ、「結ばれるはずはない」どころか、「結ばれてはいけない」のです。
そこには、自分の意志や愛情ではなんともしがたい、厳然たる壁があります。
「結ばれない」のであれば、その困難を打ち破ることは、たとえその可能性は低くとも、不可能ではないでしょう。
しかし、「結ばれない」のではありません。「結ばれてはいけない」のです。
これは大自然の掟、いかなる意志でも愛情でも覆すことの出来ない、絶対の掟なのです。
どんなに愛していても、どんなに想い、どんなに慕っていても、決して壊すことの出来ない厳然とした壁が、つうと与兵のあいだには存在しているのです。
つうはそんな壁を意に介さず、与兵のもとに嫁いできます。つうの、与兵を想うその想いには、大自然の掟も意味を成しません。
しかし、悲しいかな、その掟は、厳然として、存在するのです。

つうは時折、人目を忍んで村外れの湖水に行き、そこで元の鶴の姿に戻って、思う存分羽ばたき、水を浴び、大自然のなかを遊弋します。
そして、ふたたび人間の姿に戻って、与兵のもとに帰ります。
そのときのつうの表情は、どのようなものだったでしょうか。
愛する与兵との仕合せな生活、思ってもいなかったような、なにひとつ不満のない生活、愛する与兵が傍にいる、与兵のやさしさに温かく包まれている、平和で、のんびりとした、もはや命の危険に見舞われることのない、穏やかな生活……。
なのにつうは、そんな人間の姿を捨てて、元の鶴の姿に返ります。
窮屈な仮の姿、人間の姿を捨てて、自分本来の鶴の姿になって、思う存分、大自然のなかを遊弋します。
そして人間の姿に戻ったとき──、
どんなに愛されていても、どんなに仕合せであっても、やっぱり自分は鶴なんだ、人間じゃないんだ、与兵とは違うのだ……。
そう感じざるを得なかったとき、鶴としてのびのびと大自然のなかを遊弋していたときの愉しさ、その解放感……、本来愉しいはずのその感動を、それが愉しければ愉しかっただけ、人間に戻ったつうは、哀しく思ったでしょう。

信太の森の葛葉伝説では、狐が自分を助けてくれた男のもとに嫁ぎ、愛されて子を成しますが、或る夜、自分本来の狐の姿に戻って森に遊び、ふと気がつくと、人間でありながら狐に返った自分の尻尾をつかんで、自分の子供が泣いているのを目にします。
――あぁ、やはり自分は狐なのだ。どんなにうまく化けても、自分は人間にはなれないのだ……。
そう思った狐は、一首の歌を残して、森の中に去って行きます。
「恋しくば 訪ねきてみよ 和泉なる 信太の森の 恨み葛葉」
この歌にこめられた狐の気もちは、いかなるものだったのでしょうか?
自分を助けてくれた人間のもとに嫁いできた狐は、いったいなにを恨んで、信太の森に帰って行ったのでしょうか?
どんなに恋い慕っていても、厳然と存在する、大自然の掟でしょうか? 人間になろう、恋い慕う男と同じ種族になろうと努めても、どうしても抜けきれない、狐の本性でしょうか? 狐として、大自然の森のなかを思う存分に駆けまわり、しびれるような解放感を感じてしまう、自分自身でしょうか? 狐に生れて来た、自分の宿命でしょうか?
おそらくはそのすべてでしょう。
しかしなによりもつらいのは、それらの宿命を、“宿命”としか云いようがない、その宿命を、恨むことができない、恨もうと思っても、とても恨めない、その思いでありましょう。
恋する男が人間であることも、人間になろうと努めても人間になれない自分をも、自分の身内に潜む、消そうとしても消せない、狐としての本性をも、とても恨むことが出来ない、恨めない、そんな自分の気持ちをこそ、この狐は、恨んだのでしょう。

中島みゆきさんの曲に、『うらみ・ます』と、云うのがあります。
わたしの友人がこの曲を評して、
「相手の男を恨めたら、こんな曲にはならないよね」
と、云ったことがあります。
的確な評言です。
この曲中の女性には、相手の男を恨む、充分な理由があります。この女性が相手の男を恨んでも、みなが、そりゃそうだろうな、と、納得できるだけの、充分な理由があります。
しかし、この女性は、相手の男を恨めないのです。
恨もう、恨もうとしても、とても恨めないのです。
彼女が恨んだのは、相手の裏切りや軽薄などではなく、相手に裏切られ、弄ばれて、それでもなお、相手を恨めない自分自身、そんな男に恋してしまった、その運命、その宿命、なのです。
だからこそ、『うらみ・ます』は、あのように哀しい、あのように怨念のこもった歌になるのです。

5.破局 - 正体を知ってしまう。(見るなのタブー)
6.別離
つうの織った布は都でも評判となります。
つうの織った布が高値で取引され、与兵の友人たちは、与兵を口説いて、つうによりいっそう、その布を織らせるように仕向けようとします。
つうがもっと布を織ってくれれば、もっと儲かる、たくさん儲けて、都へも行けるようになる。
与兵はつうに、よりいっそう、布を織ってくれるように頼みます。
つうには、与兵の心情が理解できません。
なぜ儲けたいのか、なぜ都に行きたいのか。
いまのままで、充分、仕合せではないか。
もともとが動物であるつうには、そんな人間の感情は理解できません。
「より多くを得たい」、「よりよくなりたい」……
プラス方向の“より”を希む感情、マイナス方向の“より”を懼れる感情、それは、人間特有の感情なのかもしれません。
与兵がより多くを望み、よりよきを望んで、布を織ってくれと頼む哀しさは、その布を織り上げるために、自分が骨身を削っていることを解ってくれない哀しみではありません。
自分が求めるものと、与兵が求めるものとが、根本から違っているのだ、と、云うことを理解させられた哀しさです。
それはまた、しょせん自分は鶴で、与兵は人間なのだ、と、云うことを、あらためて確認させられた哀しさでもあります。

その夜、与兵はかねてからの誓いを破って、つうの籠る一室を覗いてしまいます。
それはけっして、好奇心に負けたからではありません。
夜毎布を織るつうの身体が痩せ細り、衰弱していくのが気にかかったからです。
つうを思う気持ち、つうを大事に思う気持ちが、与兵にタブーを破らせます。
なんと皮肉なことでしょうか。その人を思う気持ちが、その人のことを大事に思う気持ちが、その人のいちばん触れられたくない部分に、触れてしまったのです。
与兵は、つうの本当の姿を見てしまいます。

鶴である自分の姿を与兵に知られたつうは、一反の布を残して、天空へと去っていきます。
与兵はその鶴を追いかけて、村を駆け抜けます。
「つう、つう、つう~」
与兵には、大自然の掟も、「結ばれてはいけない」掟もありません。
そこにあるのは、ただ、自分が愛した存在、自分が大事に、大事に思っている存在だけです。
それが鶴であろうと、人間であろうと、与兵には、関係ないのです。
鶴を愛し、鶴をいとおしみ、鶴と夫婦になる――、他の人間からすれば、バカげたことでしょう。
しかしそれは、そんなにバカげたことなのでしょうか。
すべてこの大自然のなかに生きるものは、この大自然のなかに生きとし生けるものは、動物も人間も関係ない、たった一つの、大切な、大切な、そのものにしかない、“生命”を育んでいるのです。
その生命をいとおしみ、大事に思い、その仕合せを希う、相手が鶴であろうと、人間であろうと、そんなことは関係ない……。
つうも、与兵も、同じ思いです。
だからこそ、つうは与兵のもとに嫁いで来るのですし、与兵も、つうが実は鶴だった、と、分っても、そのようなことは意に介さず、つうの姿を求めて、村中を駆けめぐるのです。
ともに愛し合い、ともにその存在を大切にし合い、その人がそこにいる、ただそれだけで、たがいに仕合せだったふたりを引き裂く、その大自然の掟とは、なんと無情で、なんと哀しいものなのでしょうか。

これを、民話だけの話、と、思いますか?
いまもあるんじゃ、ないでしょうか?
年齢の差、育ちの違い、国籍の違い、さらには、性別の異同まで……。
先日、渋谷区が、同性同士のカップルのパートナーシップを公認する「パートナーシップ証明書」を交付しました。全国で初めて成立した「同性パートナーシップ条例」に基づいたものです。
なんと素晴らしいことでしょうか。
この快挙は、たんに同性同士のカップルを、異性同士のカップルと同等に認めることを公認したにとどまらず、本来人間にとって大事なものはなんなのか、人間が人間と共に生きて行くのに大切なものはなんなのか、その問いに、一定の答えを示したものです。
今回のこの渋谷区の決定は、性の異同は、愛の上においては、人間同士が共に生きて行こうとする上においては、決定的に大事なものではない、と、判断したものなのです。
なんと、素晴らしい判断でしょうか。
しかし、この判断が、じつに素晴らしい判断であると同時に、哀しい判断でもあるのは、逆説のようですが、この判断が、“素晴らしい判断”であることです。
性の異同が、お互いを大切に思い、お互いに人生行路を歩んでいこうとする二人にとって、なんの障害にもならない、なんの差し障りもないものであったならば、この判断は、「当たり前」の判断であって、「素晴らしい」判断とはならないでしょう。

いまでもあるのですね。つうと与兵の間を引き裂いた、厳然たる、“大自然の掟”が……。
本来、おたがいの愛情だけが大切であるべきはずのふたりのあいだに、なんとつまらない、しょうもない、そのくせ堅固な、数々の“掟”が、存在するのでしょう……。
そんなつまらない“世間の掟”が存在するかぎり、この「夕鶴」は、哀しくも美しい魅力を秘めて、いつまでも、わたしたちを魅了しつづけるでしょう。